「大和武尊の御陵墓」


ヤマトタケルノミコトが東征の帰路、伊勢国能褒野で亡くなられたという記紀の記述に基づき、90m後円部の径54m、同高 さ9mと三重北部最大の前方後円墳が、明治12年に内務省により「日本武尊御墓」と定められ、現在も宮内庁により管理されて います。周辺には能褒野神社や、歴史・自然の特性を活かしたのぼのの森公園があります。緑深い古墳を包む静かな雰囲気に、 古代のロマンを感じることのできる空間です。
 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は「古事記」「日本書紀」に伝えられる英雄伝説の主人公として登場する武人。第12代景行 天皇の皇子で、各地を征討し故郷の大和へ帰る途中、伊吹山で山の神に阻まれて病に倒れました。不自由な身体を引きずり、伊 勢国能褒野(ノボノ)にたどり着くも、ここで力尽きてしまいます。故郷を想う日本武尊の魂は白鳥となり、大和に舞い降りる と、さらに天高く飛び立っていったそうです。 日本武尊は、大和朝廷が征討によって王権支配を全国的に拡大させていく様子 を抽象化させた架空の人物像と言われていますが、その伝説は歴史のロマンとともに今も昔も変わらぬ 人間の心を感じさせて くれます。