長野氏城跡の訪問(平成25年4月10日)

長野氏の出自については明らかではありません。 南北朝時代には、すでに美里町の長野の地を本拠とし、 一族を旧安濃郡(現在の安芸郡芸濃町の南半・安濃町・美里町・津市の大半)の各所に配置し、 旧奄芸郡(芸濃町北部・鈴鹿市南部・河芸町・津市北部)にも勢力を伸ばしていました。
室町時代の伊勢国は、雲出川を境にして南は伊勢国司北畠氏の支配下にあり、 北はあまり強い勢力ではありませんが、伊勢守護の支配下にありました。 室町幕府は北畠氏対策と守護勢力のけん制をはかり、将軍の権力を浸透させるために、 当時、国人とも呼ばれた北勢各地の有力武士を直接の家来にすることが必要でした。 この親衛隊の役割りを果した者は奉公衆と呼ばれ、全国で300人以上いました。 有力な国人であった長野氏も奉公衆に属しながら北勢各地の荘園にも勢力を伸ばし、 応仁・文明の乱(15世紀後半)のころには三重郡、16世紀には桑名にまで進出したこともありました。
資料を頂いたりとても親切な、美里ふるさと資料館

長野宿と長野城地図

3城航空写真

東の城跡

東の城から長野城眺望

東の城から長野宿

中の城跡

中の城土塁

西の城跡


長野氏城縄張

長野氏城跡

長野氏城跡より美里方面

長野氏城跡駐車場

途中の山ツツジ


途中の小さな滝


長野氏について☆画像クリックで拡大

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