「成覚寺」


津市芸濃町河内地区の「平家落人伝説」の主人公は、
平清盛の孫にあたる平維盛(たいらのこれもり)という武将です。
平維盛の父・重盛は清盛の嫡男であり、ゆくゆくは清盛から重盛、重盛から維盛に
平家棟梁と太政大臣の地位が譲られる予定でしたが、
重盛が平家滅亡(1185)前の1179年に病死、その子維盛は平家の主流から外れてしまったようです。
屋島の戦いに破れた後、維盛は平家一族を離れ、
和歌山県の那智の海に偽装入水自殺を行い、自分は死んだことにして伊勢の国へと逃れ、
芸濃町河内に31人の家来と共に隠れ住んだということです。
その家来達により河内地区が形成され、ここの住人はほとんど落合姓を名乗っています。

成覚寺は、維盛が肌身離さず持ち歩いていた持念佛(釈迦三尊佛)を本尊として創建。
当初は禅宗寺院でありましたが、後の天正15年(1587)真宗高田派に改宗しました。
本堂の裏に維盛の墓があります。
またこちらの住職は維盛の直系の子孫だと言われ、代々小松姓を名乗っています。
生前の重盛が「小松大臣」、維盛が「小松中将」と呼ばれていたことから、
身分を隠すために小松姓を名乗ったのではないでしょうか。
サイト「美里町の探検日記GP]より