根本曼荼羅
当麻曼荼羅の原本(「根本曼荼羅」)は、損傷甚大ながら現在も當麻寺に所蔵されており、1961年に「綴織当麻曼荼羅図」の名称で工芸品部門の国宝に指定されている。現状は掛幅装で、画面寸法は394.8x396.8センチである。図様は前述のとおり、『観無量寿経』の所説を図示したもので、善導の『観経四帖疏』に基づいて構成されている。『観経四帖疏』は「玄義分」「序分義」「定善義」「散善義」の4帖からなるが、当麻曼荼羅では画面の主要部が「玄義分」、左辺、右辺、下辺の小画面がそれぞれ「序分義」「定善義」「散善義」にあたる。「玄義分」にあたる主画面には、転法輪印を結ぶ阿弥陀如来を中心とする阿弥陀三尊と左右各17体の菩薩からなる三十七尊を表し、その上下に宝池や楼閣などを表す。左辺の「序分義」は『観無量寿経』の序にあたる部分で、浄土往生の機縁となるマガダ国の王妃韋提希(いだいけ)夫人の説話(「王舎城の悲劇」)を主題とする。右辺の「定善義」は、『観無量寿経』に説く十六観のうちの13の観法(阿弥陀浄土をイメージし認識する方法)を主題とする。下辺の「散善義」は九品往生図で、十六観のうちの残りの3つにあたるものである。根本曼荼羅は画面下方の損傷が激しく、九品往生図の部分のオリジナルの綴織は失われているが、後世の模本や『建久御巡礼記』の記述によると、この部分には「織付縁起」と呼ばれる、曼荼羅の由来を記した銘文があり、その中に「天平宝字七年」(763年)の年号があったという。
根本曼荼羅は損傷が激しいため、かつては絵画か染織品かはっきりせず、絵画説、織物説、刺繍説などが存在したが、1939年からの大賀一郎らによる学術的調査により、織物であることが判明した。ただし、伝説に言うような蓮糸の織物ではなく、絹糸に平金糸、撚金糸を交えた綴織である。縦横とも4メートル近い大作である本曼荼羅を織り上げるには十数年を要するという。製作地については日本説と中国(唐時代)説があり、前述の「天平宝字七年」という年記を製作の年とみるか、當麻寺に施入された時期とみるかによって変わってくるが、中国製とする見方が有力である。染織史研究者の太田英蔵は、日本には綴織の作例が少なく、特に本作のような絵画的な図柄を表した大作は他に例がないことなど、技法・図様の両面から本作は中国製であるとしている。
宮内庁正倉院事務所の尾形充彦は、2013年の特別展「當麻寺」(奈良国立博物館)に際し、小型顕微鏡を用いて、あらためて本品を精査した。その結果、本品は絹布に彩色したものではなく、先染めした絹糸を用いたものであり、総合的に見て錦や刺繍ではなく、綴織と見られるとあらためて結論した。尾形はまた、本品のような複雑な図様で広幅の綴織を製作する技術が上代の日本にあったとは考えがたく、本品は大陸製であろうとしている。
曼荼羅は元は本堂の厨子内に掛けてあったが、傷みの激しくなった中世に板貼りに改装され、江戸時代には板から剥がされて再度掛軸に改装されている。京都・大雲院の僧・性愚(しょうぐ)という人物が、江戸時代の延宝5年(1677年)に行われた曼荼羅修理の状況を記録に残している。それによると、曼荼羅を板から剥がすために表面に楮紙を貼り、水を注いだところ、大きな音とともに剥がれ落ちた。剥離した織物の残片を板と紙の双方から集めて、別に用意していた絹地の上に貼り付け、織物が劣化損耗している部分は絵で補った。織物が張ってあった板にも図様が残り、剥離に用いた楮紙にも図様が転写された。このようにして、オリジナルの綴織曼荼羅は、残片を貼り集めた掛幅本と、板、紙の3者に分離した。残片を貼り集めた掛幅本が現存の国宝曼荼羅で、全体に劣化、損傷、退色が著しく、オリジナルの綴織の残存している部分は図柄全体の4割程度である。特に図の下部は全く失われて絵画で補われているが、阿弥陀三尊の右脇侍(向かって左)の部分などにはオリジナルの織物が比較的良好に残っている。板貼りの曼荼羅を剥がした後、板の表面に剥がれた曼荼羅の跡が残ったものは「裏板曼荼羅」と称し、曼荼羅厨子の背面に安置された。一方、剥離の際、紙に転写されたもの(印紙曼荼羅)は一部が表装されて残り、西光寺(京都市東山区清水坂)に所蔵されている。
根本曼荼羅は、製作から4世紀以上経った鎌倉時代にはすでにかなり傷んでいたようで、建保5年(1217年)には第1回の転写本である「建保曼荼羅」が制作された。この第1回転写本は京都の蓮華王院(三十三間堂)に収められ、後に當麻寺に戻ったというが、現存していない。2回目の転写本は法橋慶舜の筆で、文亀2年(1502年)に図柄が完成し、永正2年(1505年)に供養された「文亀曼荼羅」(重要文化財)、3回目の転写本は、貞享2年(1685年)の裏書がある「貞享曼荼羅」で、これらはいずれも織物ではなく絵画である。現在、當麻寺本堂(曼荼羅堂)の厨子に掛けられているのは文亀曼荼羅または貞享曼荼羅である。
根本曼荼羅は損傷が激しく、基本的には非公開である。ただし、ごく稀に博物館の特別展で公開されることがある。2013年4月から奈良国立博物館で行われた「當麻寺 −極楽浄土へのあこがれ−」展では30年ぶりに根本曼荼羅が公開され話題となった。2018年7月からも前回公開からわずか5年ぶりに修復作業が終わった根本曼荼羅が、奈良国立博物館で行われる予定の「糸のみほとけ」展で公開される。
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