金堂(重要文化財)
鎌倉時代の再建。入母屋造、本瓦葺。桁行5間、梁間4間。組物は二手先、中備(なかぞなえ)を間斗束(けんとづか)とする。屋根は元は厚板を葺いた木瓦葺きであった。内部は土間で、中心の桁行3間、梁間2間を内陣とする。内陣いっぱいに漆喰塗り、亀腹形の仏壇を築き、本尊の塑造弥勒仏坐像、乾漆四天王立像などを安置する。藤原京や平城京の大寺の金堂に比較すれば小規模だが、氏寺の金堂としてはふさわしい規模とされ、創建以来の規模を保っているものと思われる。堂は乱石積の高い基壇上に建つが、堂の規模に比して基壇が高いのは、長年の間に地盤が削られたために、かさ上げをしたためである。内陣正面向かって左の柱に文永5年(1268年)の田地寄進銘が墨書されており(墨書の跡に字形が浮き出ている)、これより以前、鎌倉時代前期の再建と推定される。床下に焼土層は認められないが、本尊台座には火中した形跡があり、北隣の講堂が治承4年(1180年)の兵火で焼失した際に類焼したものと推定される。中世以降、當麻寺の信仰の中心は当麻曼荼羅を安置する本堂(曼荼羅堂)に移っているが、本来の中心堂宇はが金堂であった。
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